日曜日■隠れナルシスト
2004年4月11日 ■日常 友達夫婦が子供連れでやって来た。春から奥さんが職場復帰をしたので、なかなか遊べず、やっと実現したので積もる話に花が咲いた。
その中で、旦那さんが「子供の服を買ってあげたいのに奥さんに却下される」と嘆いていた。どうも趣味が違うらしい。私達夫婦は仰天した。というのは、子供の服って“無い(要る)からしぶしぶ買う”という感覚で“これを着せたい”というのはないからだ。誕生日とか七五三の時も“写真に残るからこましな物を着せよう”くらいにしか思わない。しんさんは更にどうでもいいと思っているだろう。
しかし、私も子供が産まれる前は“こんな格好をさせよう”と考えていた。いつから変わったんだろう…と考えて思い当たった。
産院で真っ白の産着を着ている蒸し饅頭のような我が子を見たとき、文句なしに“可愛い”と思えた。しかし、家に帰って可愛い柄つき肌着を着せていると妙に大人びて(←大げさな)可愛さが半減したように思えた。その時“子供服はシンプルな方がいい、中身が可愛いから”と感じたのか、日に日に子供服への感心が薄れていった。管理が大変だからと数も少ない。こだわるとすれば“脱ぎ着がしやすい”“丈夫で乾きやすい”“動きやすい”という点。最近はもっぱら頂き物や近所のお古でまかなっている。貧乏なせいもあるけれど、恥ずかしながら親馬鹿な考えが原因だっだ。
その中で、旦那さんが「子供の服を買ってあげたいのに奥さんに却下される」と嘆いていた。どうも趣味が違うらしい。私達夫婦は仰天した。というのは、子供の服って“無い(要る)からしぶしぶ買う”という感覚で“これを着せたい”というのはないからだ。誕生日とか七五三の時も“写真に残るからこましな物を着せよう”くらいにしか思わない。しんさんは更にどうでもいいと思っているだろう。
しかし、私も子供が産まれる前は“こんな格好をさせよう”と考えていた。いつから変わったんだろう…と考えて思い当たった。
産院で真っ白の産着を着ている蒸し饅頭のような我が子を見たとき、文句なしに“可愛い”と思えた。しかし、家に帰って可愛い柄つき肌着を着せていると妙に大人びて(←大げさな)可愛さが半減したように思えた。その時“子供服はシンプルな方がいい、中身が可愛いから”と感じたのか、日に日に子供服への感心が薄れていった。管理が大変だからと数も少ない。こだわるとすれば“脱ぎ着がしやすい”“丈夫で乾きやすい”“動きやすい”という点。最近はもっぱら頂き物や近所のお古でまかなっている。貧乏なせいもあるけれど、恥ずかしながら親馬鹿な考えが原因だっだ。
コメント