晩御飯が終わると日が「今日読んだ本ね、すごく可愛そうやねん…妹が死んじゃうねん」と言った。私も日のクラスで戦争の本を読んで朝から泣いちゃったので、「戦争の話?」と聞くと、「ううん、いじめられて、ひっそり死んじゃうねん…めっちゃ悲しいねん」と言った。私は「可愛そうやけど、自殺は絶対にいかんねんで。それは心が弱い。日がいじめられたら絶対に一人で悩まんと相談できる人に相談しな。ママに言いにくかったら、パパでもおばちゃんでも保育所の先生でもいいねんで。小学校に行っても保育所は近いしな」と言った。でも後日この本を読んで、このいもうとは自殺したわけでなく、本当に無気力になって死んでしまったことが判った。小学4年生だったいもうとはいじめた子が高校生になって、人生を謳歌しているのを感じながら、一人部屋で鶴を折り続けて死んでしまったらしい…本当に悲しい、そして考えさせられる話だった。
 私もけっこういじめられっこだった。私は体を傷つけられる事はなかったけれど、よく無視された。でも私には夢があったので、こんなことは時間が経てば想い出になると冷めていた(嫌な子供?)。私の夢は綺麗になって、バリバリ仕事して、男をとっかえひっかえして(要するにトレンディドラマの主人公みたいに)…という実にくだらないものだったけど、この夢のお陰で全く死にたいとか、無気力になることはなかった。もしも自分の子供がいじめられたら、「そんな小さな世界でいじめられても、他にも世界はたくさんあるし、自分に合わない世界はある!」って教えてあげたい。そして自分を磨くこと(あっ今の私は夢は全く叶ってないし、自分もこれといって磨かなかったけど何とか幸せになりました!)。何があっても自分の幸せを諦めてはいけないと思う。
 ↑THE HIGH-LOWS↓の“即死(すごいタイトル)”という詩に「何が正しいか知らない、何が楽しいか知ってる♪」というのがあるが、本当にその通りだと思う。みんなとなじめない自分を否定して(正しくない)、“もっとあそびたかった、もっとべんきょうしたかった(好きだったのにできなかった)”と死んでいった妹を助けられなかったのは本当に悲しい。彼女のいた小さな世界は正しくなんかないし、好きなことに遠慮しないで欲しかった。それに気付く前に心から体が蝕まれてしまった事に、やるせない気持ちでいっぱいになる。
 何だか何かをしたい気持ちで“わたしのいもうと”を検索すると、かなり小学校の道徳の時間で使われているようだ。いじめる子供は想像力が足りないと私も思う。こうやっていじめを受けた気持ちを垣間見るだけでも、辛い気持ちを抱える子供(大人も)が減っていると信じている。
 しかしながらいじめはなくならないと思う。人と人とは違っていて、違う人同士が生活すると摩擦が起きる。でもその摩擦は人生の糧となるものであって欲しいと強く願う。どこでもいつも誰とでも仲良くなんてできないけれど、合わない人からって攻撃しない。そういう最低限のルールを教えていかなければいけないと思う。
 すごく悲しくて、仕事中もひきずってしまう私だけど、読んで良かったと何故か思える。本当にこの本を私に教えてくれた娘に感謝したい。ありがとう。そしてこの本を読んで感じることが出来るようになった娘の心の成長にも、改めて感動した。その気持ち、忘れないで大きくなあれ。

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